第1章 2.海が歌うとき

ある日、イザナギとイザナミは天の神さまたちに呼ばれたんだ。別天つ神ことあまつかみとよばれる、天の神さまたちに。

そうして「このただよっている国を治めるように」と言われた。「ちゃんと作り固めるのだぞ」ってね。

だってこの時、世界はまだ今みたいに固まっていなかったから。

天の神さまたちは、イザナギとイザナミに、天の沼矛あめのぬぼこをくれた。ほこっていうのは、長い長いの両端に刃を取り付けてあるものなんだけど、天の沼矛あめのぬぼこは、きらきら光る美しい玉で飾られている特別なものなんだ。

イザナギとイザナミは、これを使えばなんとかなりそうだぞ!って思ったんだろう。

天の浮橋あめのうきはしから、この天の沼矛あめのぬぼこを地上にむけてゆっくりとおろしたんだ。

 

 

ねぇ、想像してみてよ。まだ固まっていない世界。ゆらんゆらんぽわんぽわんとただよっている世界。そこに浮いているようにを描いてかかっている橋。

その上から、イザナギとイザナミは天の沼矛あめのぬぼこで世界を慎重にかき回し始めた。

かき回すっていっても、ぼくたちが卵をかき回すのとはワケが違う。

大地の元をかき混ぜているんだ。

だからイザナギとイザナミは、とっても真剣に、一生懸命、それでいて優しく、天の沼矛あめのぬぼこを動かした。

するとどうだろう。

 

 

すこしずつ固まってきた世界が、音を鳴らし始めたんだ。

海が こおろこおろ と歌っている。イザナギとイザナミは顔を見合わせて、天の沼矛あめのぬぼこをそっと引き揚げた。その時、ほこの先からしずくがしたたった。

固まり始めた海が、ぽつりぽつりと積み重なって、島になった。

しずくが、島になった。こおろこおろと鳴った時にできたその島は、淤能碁呂島おのごろじまという。

 

 

せっかく島ができたのだから、イザナギとイザナミは天上界てんじょうかいを離れて島に行くことにした。

天上界てんじょうかいでもっと過ごしていたい気持ちもあったけれど、新しいことをするのだもの。ためらってはいられない。

イザナギとイザナミは島に降り立って、はじめに天の御柱てんのみはしらと呼ばれる大きな大きな柱を建てた。それから、八尋殿やひろどのと呼ばれる広い広い御殿ごてんも作った。新しい場所に家ができて、やっと落ち着いたから、食事もして、疲れた身体を癒すのに水浴びもしたんだろう。

イザナギがふと、イザナミにこんな質問をしたんだ。

「その……、身体ってどんな風になってる?」

男神おがみ女神めがみ。似ているのに違う。その違うところが気になったんだ。

イザナミは「りてり合わざるところ一所ひとところあり」と言った。

つまり「私の身体には足りないところがあるみたい」って。

イザナギはこう言った。「りてりあまれるところ一所ひとところあり」

つまり「この身体には、あまっているところがあるみたいだ」って。

それから「足りないところと、あまっているところを組み合わせたら、国が生まれるんじゃないかな」って言ったんだ。イザナミも賛成したから、早速取り掛かることにした。

「じゃあ、まずは天の御柱てんのみはしらをぐるっと回ってから、みとのまぐわいをしよう」ってイザナギが言った。

イザナミは右から、イザナギは左から、大きな大きな天の御柱てんのみはしらをまわる。そうやって柱の向こうで出会い直し、夫婦として愛し合おうって約束したんだ。

今でいう結婚式みたいなものだ。

イザナギとイザナミは、この世界に現れた時からずっと一緒だったもんね。あらためて相手を見つめ直して、気持ちを確かめ合うことも大切なのかもしれない。

だけど、天の御柱てんのみはしらを回る時に思いも寄らない問題が起きてしまった。

柱の向こうで出会い直した時、イザナミの方が先に口を開いたんだ。

「あぁ、なんて素敵な男性なのでしょう」って。

それからイザナギが「なんて素敵な女性なのだろう」と言った。

だけど、言いながらイザナギはこう考えていた。この世界に現れた時は、自分が先だったから、もしかして今回も同じ順番の方がよかったのかもしれない。そうしてイザナミにもこう言った。もしかしてさ。「きみが先に言ったのは良くなかったのかもしれない」って。

だけど、もうどうしようもなかったし、そもそも間違っているのかもわからなかったから、イザナギとイザナミはそのまま一緒に眠って、正式に夫婦になったんだ。

足りないところとあまっているところ組み合わせたら、国が生まれる。

イザナギの予感は当たっていて、イザナミはじきに子供を産んだ。

だけどもうひとつの予感もあたってしまった。生まれた子は、背骨のないぐにゃぐにゃとした子供だった。イザナギとイザナミは、なにも言わずにその子を抱きしめた。この子は国にはなれない、ここでは生きられない、そう分かってはいたけれど、せめて名前をあげたかった。水蛭子(ヒルコ)と名付けた。

もしかしたら、ほかの場所なら生きていけるかもしれない、イザナギとイザナミは、祈りながらヒルコをあしの船に入れて海に送り出した。泣いた。

しばらくして、次の子供が生まれた。この子も、国にはなれなかった。淡島あわしまと名付けた。また、泣いた。

ヒルコと淡島あわしまを失って、イザナギとイザナミは、当たり前のように子供は生まれるのだと思い込んでいたことに気がついた。そうじゃなかったんだ。神さまだからと言って、子供が簡単にさずかるわけじゃない。命って、誰にとっても奇跡なんだ。