第1章 6.長い長い沈黙

傷つき恨んだイザナミは、死のけがれをまとう黄泉醜女よもつしこめを呼び出した。そうして、イザナギのことを追いかけさせた。

黄泉醜女よもつしこめは足が早い。あっという間にイザナギに追いついてしまった。

イザナギは、えい!と、髪につけていた黒御鬢くろみづらという長生きのお守りを投げた。するとそこに、にょきにょきとぶどうが生えてきた。あまりに美味しそうだったので、黄泉醜女よもつしこめは立ち止まってぶどうを食べ始めた。

よし、今のうちに。

イザナギはまた逃げ出した。でも黄泉醜女よもつしこめはすぐに食べ終わって、また追いかけてきたんだ。

イザナギは右の髪にしていたくし湯津津間櫛ゆつつまぐしを投げた。今度は、落ちたところから竹の子が生えてきた。これもとっても美味しそうだったので、黄泉醜女よもつしこめはまた立ち止まって竹の子を食べ始めた。ぶどうよりも食べるのに時間がかかる。

その間に、イザナギはどんどん逃げていった。

 

 

だけど今度は、イザナミの身体から生まれていた八柱やはしら雷神らいじんたちが追いかけてきた。それも、千五百はいるかという黄泉国よみのくにの大軍、黄泉軍よもついくさを引き連れて。

イザナギは腰につけていた十拳剣とつかのつるぎを抜いた。逃げながら、うしろに手をむけて剣を振った。

でも、数が多すぎる。

逃げきれないまま、黄泉比良坂よもつひらさかにたどり着いた。

ここはもう黄泉国よみのくにと地上の境目。あと少しで、地上に出られる。

だけどやっぱり、逃げきれない。

と、その時、イザナギは坂の下に生えている桃の木に気づいた。

そこから三つの桃の実をもいで、追いついてきた黄泉軍よもついくさに投げつけた。すると、黄泉軍よもついくさの者たちも八柱やはしら雷神らいじんたちも、散り散りに逃げ出したのだ。

よかったとため息をついて、イザナギは桃の実に語りかけた。

―きみのおかげで助かったよ。

「ぼくを助けたみたいに、地上である葦原あしはらなかくににいる人間たちが苦しんでいる時には助けてやるのだよ」

それから、桃の実に特別な名前をさずけたんだ。

意富加牟豆美おおかむずみ、神さまの実ってね。

 

 

さて、もう少しで地上に戻れる、そう思っていたイザナギは、はっと後ろを振り返った。

来る、そんな気がするんだ。

イザナギは黄泉比良坂よもつひらさかの真ん中を、千人かかって動かせるほどの大きな岩・千引岩ちびきいわでふさいだ。間も無く、岩の向こうに、イザナミの気配がした。

ついの神。唯一愛した妻。

でも死はこえられない。

イザナギは岩にそっと触れて「これで、私たちはもうお別れだ」と言った。

怒っているような、泣いているような声でイザナミは言った。

「愛しい夫よ。別れるというなら・・・。それならば、」

そして、強く大きな声で続けた。

「あなたの国の人間たちを一日に千人殺します」

イザナギはぐっと唇をかみしめた。それからこう言い返した。

「愛しい妻よ、もしそうするならば、私は一日に千五百人の子を生もう」

長い長い沈黙がおとずれた。