傷つき恨んだイザナミは、死の穢れをまとう黄泉醜女を呼び出した。そうして、イザナギのことを追いかけさせた。
黄泉醜女は足が早い。あっという間にイザナギに追いついてしまった。
イザナギは、えい!と、髪につけていた黒御鬢という長生きのお守りを投げた。するとそこに、にょきにょきとぶどうが生えてきた。あまりに美味しそうだったので、黄泉醜女は立ち止まってぶどうを食べ始めた。
よし、今のうちに。
イザナギはまた逃げ出した。でも黄泉醜女はすぐに食べ終わって、また追いかけてきたんだ。
イザナギは右の髪に挿していた櫛、湯津津間櫛を投げた。今度は、落ちたところから竹の子が生えてきた。これもとっても美味しそうだったので、黄泉醜女はまた立ち止まって竹の子を食べ始めた。ぶどうよりも食べるのに時間がかかる。
その間に、イザナギはどんどん逃げていった。
だけど今度は、イザナミの身体から生まれていた八柱の雷神たちが追いかけてきた。それも、千五百はいるかという黄泉国の大軍、黄泉軍を引き連れて。
イザナギは腰につけていた十拳剣を抜いた。逃げながら、うしろに手をむけて剣を振った。
でも、数が多すぎる。
逃げきれないまま、黄泉比良坂にたどり着いた。
ここはもう黄泉国と地上の境目。あと少しで、地上に出られる。
だけどやっぱり、逃げきれない。
と、その時、イザナギは坂の下に生えている桃の木に気づいた。
そこから三つの桃の実をもいで、追いついてきた黄泉軍に投げつけた。すると、黄泉軍の者たちも八柱の雷神たちも、散り散りに逃げ出したのだ。
よかったとため息をついて、イザナギは桃の実に語りかけた。
―きみのおかげで助かったよ。
「ぼくを助けたみたいに、地上である葦原の中つ国にいる人間たちが苦しんでいる時には助けてやるのだよ」
それから、桃の実に特別な名前を授けたんだ。
意富加牟豆美、神さまの実ってね。
さて、もう少しで地上に戻れる、そう思っていたイザナギは、はっと後ろを振り返った。
来る、そんな気がするんだ。
イザナギは黄泉比良坂の真ん中を、千人かかって動かせるほどの大きな岩・千引岩でふさいだ。間も無く、岩の向こうに、イザナミの気配がした。
対の神。唯一愛した妻。
でも死はこえられない。
イザナギは岩にそっと触れて「これで、私たちはもうお別れだ」と言った。
怒っているような、泣いているような声でイザナミは言った。
「愛しい夫よ。別れるというなら・・・。それならば、」
そして、強く大きな声で続けた。
「あなたの国の人間たちを一日に千人殺します」
イザナギはぐっと唇をかみしめた。それからこう言い返した。
「愛しい妻よ、もしそうするならば、私は一日に千五百人の子を生もう」
長い長い沈黙がおとずれた。